「さむでぃ」とはどんな店だ?

2001/03/11更新


Welcome to the paradise cafe’
パラダイス カフェ
ようこそ 茶房さむでぃ へ


誰もが余り変りばえのしない日常の中でささやかに暮らしている。
そんな田舎の街で唯一救ってくれるのは、音楽と酒と、いかした仲間達。
楽園(パラダイス)はどこにだってある。君が信じてくれるなら。
ジェッシ・コリン・ヤングが大好きだった僕はオープンのチラシにこう書き添えた。
ジェッシ、僕の田舎にだっていい所はいっぱいあるんだよ!」
1983年春。
楽しい事など何一つ起こりそうにないこの街で、楽園は僕らが創造するしかなかった。
「さむでぃ」は楽園だ。
扉はいつも開けておきたい。
君が信じてくれるなら、いつだってここは楽園。
さあ、おいでよ。
酒もある。
音楽もある。
そして君がいるなら、いつだってここはパラダイス・カフェ。

We should be humanlike!

2000/10/06 「さむでぃ」店主

マスター(「さむでぃ」店主)
なんと言っても「さむでぃ」の顔はマスターでしょう。

かなり偏屈。かなり頑固。そのくせ、かなりのいい加減。

それらが、とても良くブレンドされた男。

余り、手持ちの写真が無かったのだが、これはライブの時に隠し撮りしたもの。
かなり本人の渋さが出ていると思う。

「ろくたん」記
明美さん
「さむでぃ」の働き者の明美さん。

やっぱり「ママ」と言うよりは「明美さん」の方がしっくりくる。

写真後方に写っているのは、某アーティスト。
余り気にしてはいけない。

「ろくたん」記


管理人から「さむでぃ」について一言

最初に就職した金沢から富山に帰ってきて、同級生の明美さんのよしみでふらりと寄った時が「さむでぃ」との最初の出会いだった。

以来、女房との出会いがこの「さむでぃ」であった事など、僕個人としては「さむでぃ」との関り合いは人生の中でかなり大きい。

他の常連客の中でも「自分の部屋の次にくつろげる場所」として定評がある。
集まってくる音楽仲間も、かなり個性的で変な奴ばかりと言う評価もあろうが、基本的にいい奴ばかりである。

ライブをやっていると言っても、ここは正確に言うとライブハウスではなく喫茶店の中でライブが出来ると言う感じの店だ。
勿論、常設のPAもあったりするのだが、演出用の照明などと言う物は特には無い。

ライブハウスで無いからこそ、楽しい世界もある。
良い事かどうかは個人の判断にまかせるとして、通常のアマチュアライブで動員ノルマと言うものはこの「さむでぃ」には無い。
通常の営業より手数が掛かるからテーブルチャージが設定されている程度のものだ。
だから歌いたい人は自由に歌える。

演奏する側と、それを聴く側がとても近い。
距離的にも小さな店だからそうだけど、もうちょっと精神的な所でも気軽に演る/聴くの間で話が弾む店だと思う。
だから聴く側にとっても硬くなって聴くような場所でも無い。

マスターは「気軽に音楽がある店」というのが理想らしい。
ふらっと寄った音楽好きのお客さんが、そこいらにある楽器を手にとって知らない間にライブになってしまうような....。

ある意味では商業的でない店だろう。
だからこそ、とても気さくで、誰でも自然体で居られる店なんじゃないかなと思う。

あなたが音楽が好きならば、流行の音楽にとらわれずに、たまにはこんな店に来て文字通り音を楽しんで、気軽に音楽野郎達に声を掛けてみても良いのではないだろうか。
アマチュアがほとんどだから、決して上手くはないかも知れない。
でも、そこには商業的になりすぎたプロの音楽とは違って、歌う人の熱い思いや人生観なんてものが強く感じられるに違いない。

初めて来たなら、まずはカウンターに座ってマスターや明美さん、そこいらに座ってる奴と話をしてみよう。
あなたが見つけた「さむでぃ」は、きっとそこにある。

管理人「ろくたん」記
ゲテモノ万歳!
「さむでぃ」店主

おててつないで、みんなで仲良く、ホームページに優等生的に書き書きなんて本当の僕じゃない。
癒し系なんて言葉も大嫌いだ。
思えば、18年前「人間らしく、ありたい」と言う思いで店を始めた。
体裁よく取り繕うなんて僕にはとてもできなかった。

・言っちまえばいいんだ・そこから全てが始まるのだから
・俺も、気狂いピエロだ。
・今日は、あなたの残りの人生の最初の日だ。
・「もっと心をさらけだしましょう。かくすな、この野郎。」笑うな。

以上の言葉は、全部13年前ガリ刷で初めて作ったミニコミ誌の隅にちょこっと載せたものだけど、今でも大好きな言葉だ。
店内に置いてあるギターでみんなで仲良く歌う為にライブをしている訳じゃない。
アマチュアだから、気軽に演れる店だから、なんてとんでもない。
そんな気持ちでやった事なんて一度も無い。

少なくともサムディで演ったゴキもカラスも大谷ひろゆきも、みんな気狂いピエロだった。

アマチュアとかプロとか、言いたい奴には言わせておけばいい。
歌いたい歌がまさにそこにあり、彼らは歌わずにはいられなかったのだから。

着飾った言葉のやり取りで過ぎていくだけの毎日なんて、まっぴらご免だ。
そんな所に僕らの楽園はきっと無いと思う。

もみの木ハウスの鷹屋くん(僕の幼なじみ)に「ゲテモノはみんなサムディに任せるよ」と言われた事がある。
親しい仲ならではの言葉であろうが、僕の事もサムディの事もすごく愛してくれての発言と僕は理解した。

人間らしくあろうと思えば、今では「ゲテモノ」というレッテルを貼られるんだ。きっと。
ゲテモノ万歳! みんなもっと人間らしくあろうじゃないか。

うたいたい歌があって、本当に聞かせたい誰かがいるなら歌えばいい。
歌は自然に君の体から溢れ出て来るはずだ。
「気軽に歌える」なんて思わないで欲しい。

歌わずにいられなかった君が裸のまま歌っている。
恥ずかしがらないで。
僕らも裸になって聴いていよう。
そして踊ろう。

心配しないで、僕らも充分に気狂いピエロなのだ。


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