「さむでぃ」のフォトアルバムから


このコーナーでは「さむでぃ」開店前後の事から現在までの事を写真を通して紹介して行きたいと思います。

「さむでぃ」の前身「MAD」のお話。

「さむでぃ」開店当初のお話。

遠方から来てもらったプロ/アマのアーティストの皆様。

開店当時からのライブの模様。

「さむでぃ」名物?「壁画」のお話。

追悼 御器谷友彦

追悼 御器谷友彦

御器谷 友彦 逝く 
2001/4/26早朝、御器谷友彦氏がくも膜下出血の為に永眠されました
謹んで御冥福をお祈りいたします
ありがとう、ゴキ
2001/05/10 「さむでぃ」店主

迷いの中にいる者こそ、本当に信じられると言っていた。

生まれつき実にならない実であったゴキは迷いの無い世界、つまり常識という危険な虚構の世界とずっと真剣勝負していた。そして、力尽きて倒れた。

 彼の歌は、聴く人が必要とする時に、すっと入ってきてその人の心の中で始めて完成されるものなのだろう。
その時、それはきっと既製のどの音楽よりも美しく響き渡るに違いない。

 生き続けていくことは、1枚1枚嘘の衣を羽織っていくことなのかい? 青臭いと解決してしまうのも人間なら、傷つき涙を流し血みどろになって迷い続けるのも人間なのだ。

 ライブが終わって「じゃ」とはにかみながら帰っていったゴキの顔を覚えている。 すごくいかした演奏も、ボロボロの演奏も覚えている。
正気と狂気の間の顔も全部覚えている。

 8年間、みんなと、きちんと一巡して遊んでいった ゴキ。
次に行くのはニール・ヤング牧場だと本気で言っていた。本当にバカな奴だったよ。

 あんたの唄が今も心の中で鳴り響いてやまない。

ありがとう ゴキ。
 ものすごい奴だったよ。本当にあんたは。
     うしろ
光の後には 影があって
影の後には 光がある
なんだか わからねぇけど
明日も 晴れるのさ
”ゴキの I shall be released”より
彼は歌になった
2001/05/12 カヨ

曲を書く、とか、書いてます、とか、オリジナル、って、フツーに言ってるけど、本当はそれってすごくおこがましい言い方かもしれない。
なぜって、歌になるもの、歌が生まれるきっかけというのは、きっと自分の目で見、耳で聞き、出会い、ココロで感じたものたちであるだろうから。

歌うたいというのは、そういう、周りにあるものと、聴く人のココロとの間の接続部分なんだろうと思う。
そうなると、歌うたいは、歌うときにはその全身全霊を歌に捧げる、あけわたすべきなのだ。

御器谷 友彦。
彼は歌うたいだった。


その歌は時に激しく、ほとばしる。
刺さる。吠える。
時にやさしく、哀しく、人のココロに染み入る。
抱きしめる。

シャルル・トレネの「詩人の魂」は言う。
時が流れ、かつての詩人はもうここにはいないけれど、その歌は今日も街に流れ、人々のココロに生き続けるのだ、と。

ゴキさんも、また然り。

彼の歌がここに流れ、ここに集う人たちが彼の歌を歌い、聴き続ける限り、彼は私たちの日々の中で、歌になって、魂を燃やし続けるのだ。

彼は38年かけて、わずらわしい肉体を離れる許可を得、歌うたいから、歌そのものになれたのだ。

彼が私たちに託していったものを、落とさないように、なくさないように、走り続けたい。


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